東美濃地域の
戦国時代

東美濃地域は、戦国時代、武田氏と織田氏の国境をめぐる戦いや本能寺の変後の森長可による東美濃統一、関ケ原の戦いにおける城の攻防など多くの歴史ストーリーが繰り広げられました。その影響もあり、地域内には多くの山城跡が残されています。
なかでも「岐阜の宝もの」として認定されている「岩村城跡と岩村城下町」「美濃金山城跡」「苗木城跡」は織田信長とも縁深くいずれも日本100名城・続100名城に選定されています。

東美濃の山城には、そこに語り継がれる歴史や伝説、豊かな自然など多くの魅力がつまっています。そんなお城を攻める休日で、歴史や自然に触れれば、きっとあなたの何かが変わる。

恵那市Ena City

東海を代表する近世城郭岩村城跡

東美濃で最も規模が大きく、東海地方を代表する山城のひとつ。遠山氏の本城で霧ヶ城とも呼ばれる。女城主の城としても知られる。近世の府城としては最高所にあり、日本三大山城の一つに数えられている。
現在の城郭は、関ケ原の戦いの後に入部した松平家乗の築城によるもので、山上に本丸、二の丸、八幡曲輪を連ね、山麓に藩主邸を配する。本丸の高石垣や六段壁、大手門など見どころが多い。近世の造成を免れた尾根の各所には戦国時代の遺構を見ることができる。城下町も近世から続く町並みがよく残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

所在地
恵那市岩村町
築城時期
16 世紀初めか
主な城主
遠山氏、秋山虎繁、河尻秀隆、団忠正、田丸直昌、松平家乗
アクセス
[公共交通機関]明知鉄道岩村駅より徒歩約60分
[自家用車など]中央自動車道「恵那IC」より約20分 
岩村歴史資料館前に駐車場有(無料) 駐車場より本丸まで徒歩30分
(国道257線から本丸へ車で可。但し、マイクロバス等大型車通行不可)

資料館情報

名称
岩村歴史資料館
入館料
300円(高校生以下無料、65歳以上200円)
電話番号
0573-43-3057
開館時間
[4 月~11月]9:00 ~ 17:00 [12月~3月]9:30 ~ 16:00
定休日
月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始(12 月28 日~ 1 月4 日)

天険の地形を巧みに利用した
遠山明知氏の居城
明知城跡

鎌倉時代から遠山一族の惣領家として続く名門遠⼭明知⽒の居城であり、遠山荘南部の要の地として幾多の攻防の舞台となった。
城の遺構は、山頂の二つの曲輪と通称「出丸」を中心として、東西400m・南北300mの城山の全域に広がる。特筆されるのは、主要な曲輪を囲繞する大規模な横堀・堀切とこれと連動する畝状竪堀群である。このほかにも出丸の巨石列や貯水池、山麓に構えられた近世旗本遠山氏の陣屋など見所は多い。
規模・構造ともに美濃国を代表する山城といえるだろう。

所在地
恵那市明智町城山
築城時期
16世紀中葉か
主な城主
遠⼭明知⽒
アクセス
[公共交通機関]明知鉄道明智駅より本丸まで徒歩35分

中津川市Nakatsugawa City

巨岩を抱え込んだ石垣と大パノラマ苗木城跡

木曽川北岸の高森山に築かれた苗木遠山氏の拠点。当時は高森城と呼ばれた。遠山一雲入道が築城し、それまでの本拠地である植苗木(中津川市福岡)から移った。
現在の総石垣の城郭は、関ケ原の戦いの後に一万石の大名として復帰した苗木遠山氏によるもので、全山が岩山であるため広い曲輪を造成することができず、天守や御殿をはじめ主要な建物は、床面積を確保するため、石垣から大きくはみ出した懸造りによって建てられていた。木曽川の龍が白を嫌うとして城壁に漆喰を塗らなかったことから「赤壁城」とも、森長可が苗木城を攻めたとき、風雨が激しく霞がかかって攻めきれなかったことから「霞ヶ城」とも呼ばれる。

所在地
中津川市苗木
築城時期
⼤永6年(1526 年)
主な城主
遠山友政
アクセス
[公共交通機関]JR中津川駅から北恵那バスで「苗木バス停」下車、徒歩約30分
[自家用車など]中央自動車道「中津川IC」より約10分 駐車場あり

資料館情報

名称
苗木遠山史料館
入館料
330 円(団体270 円)
電話番号
0573-66-8181
開館時間
9:30 ~ 17:00(入館は16:30 まで)
定休日
毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、12月27日~ 1月5日

戦国期の姿をまるごと残す阿木城跡

戦国時代末期の城跡。当時の美濃国東部は、織田信長と武田信玄による争奪の対象とされていた。阿木城も、この時代にどちらかの勢力によって造られたのではないかと考えられている。

保存状態がよく特徴的な遺構を残している中世城館として、平成14 年に中津川市指定文化財に指定された。

所在地
中津川市阿木
築城時期
不明
主な城主
不明
アクセス
[公共交通機関]明知鉄道阿木駅より徒歩約5分
[自家用車など]中央自動車道「恵那IC」より約20分 駐車場あり

土岐市Toki City

土岐源氏ゆかりの城高山城跡

高山伊賀守秀頼が築城したとされるが、詳細は不明。
戦国時代では、平井氏ー森氏の居城となり、関ケ原の戦いの際には西軍方の田丸直昌(岩村城主)の支城となっている。直昌は、東濃の戦い(関ケ原の戦い時に東濃地方で行われた一連の戦い)で妻木氏に敗れ、高山城に火を放って鶴ヶ城(瑞浪市)に退いたとされる。土岐高山城の落城の様子は、家康が妻木家頼に宛てた書翰に見ることができる。
高山城跡には現在、物見櫓が建てられ土岐市街地を一望することができる。

所在地
土岐市土岐津町高山
築城時期
鎌倉時代~室町時代( 諸説あり)
主な城主
高山伊賀守秀頼、平井頼母
アクセス
[公共交通機関]JR 中央本線「土岐市駅」下車、南へ徒歩約15分
[自家用車など]中央自動車道「土岐IC」より車で約5分 駐車場あり

土岐明智氏ゆかりの地妻木城跡

土岐明智氏の系譜を引く妻木氏の居城。天正10 年(1582)、山崎の戦いの後に近江西教寺で自害した妻木広忠は、明智光秀の叔父とも岳父とも考えられている。
城跡は妻木町の南端、比高170mの城山山頂にある。尾根筋に多数の曲輪を連ねており、その範囲は東西230m、南北240mを測る。旧土岐郡内の城では群を抜く規模である。
発掘調査の結果、最終段階(関ケ原の戦い)の主郭(Ⅰ郭・Ⅱ郭) には枡形虎口の門が構えられ、多聞櫓や殿舎が建ち並んでいたことが判明している。山麓には近世旗本妻木氏の陣屋である士屋敷跡がある。

所在地
土岐市妻木町
築城時期
室町時代
主な城主
土岐明智氏、妻木氏
アクセス
[自家用車など]東海環状自動車道「土岐南多治見IC」より約15分 駐車場あり

資料館情報

名称
妻木公民館郷土資料室
入館料
無し(公民館窓口へお声かけください)
電話番号
0572-57-4564
開館時間
10:00 ~ 16:00
定休日
日、月、祝日、年末年始(12月29日~1月3日)、公民館主事不在時

瑞浪市Mizunami City

織田VS武田攻防の最前線小里城跡

土岐一族の支流である小里氏の居城で、岐阜県指定史跡。戦国時代末期には、小里光明らが織田信長の直臣として活躍した。山頂部の遺構は本丸曲輪などと呼ばれ、小里城と安土城にしか見られない多角形の天守台があり「小里城は安土城を建てる前に試しに造られたのではないか」という興味深い説もある。現地では所々で石材を切り出した痕跡を確認することができ、一部の区域では石垣を見ることもできる。
山麓部は御殿場跡と呼ばれ、複数の大規模な曲輪・石垣などを見ることができる。この御殿場跡は、江戸時代初頭に小里氏が陣屋・居館を築いた場所であり、石垣などはその際築かれたものと考えられている。また、御殿場跡の東側の尾根にも東砦跡と呼ばれる曲輪も確認されている。

所在地
瑞浪市稲津町小里
築城時期
1530年代
主な城主
小里氏
アクセス
[自家用車など]中央自動車道「瑞浪IC」より約15分 駐車場あり

織田信長・信忠 東濃支配の拠点鶴ヶ城跡

土岐氏が築城したと伝えられるが、永禄年間には遠山一族の延友氏が進出し居城とした。織田方による岩村城攻略の拠点で、天正2年(1574)の戦いで信長が本陣とし、続いて河尻秀隆が定番となり、天正3年(1575)11 月に岩村城が落城するまで常駐した。関ケ原の戦い後に廃城となり、代わって山麓に岩村藩の陣屋が置かれた。
城跡は、下街道を見下ろす丘陵の端部にあり、山頂に主郭(千畳敷)を配し、南東に伸びる二つの尾根に曲輪を展開する。急峻な切岸は、砂岩の岩壁を垂直に削り出しており、見る者を圧倒する。二つの尾根に挟まれた御殿と呼ばれる曲輪には「葵の井戸」と呼ばれる池や旗竿石がある。現在は、その縄張りが鶴翼を広げたように見えることから、鶴ヶ城と呼ばれている。

別名
神箆城
所在地
瑞浪市土岐町
築城時期
不明
主な城主
土岐氏、延友氏
アクセス
[自家用車など]中央自動車道「瑞浪IC」より約10分 駐車場あり(秋葉組集会所)

御嵩町Mitake Town

不落伝説が語り継がれた山城御嵩城址

小栗信濃守が築いたとされる御嵩城には、かつて権現山城と本陣山城の2つの城があった。伝説によると霊霧に守られた霧隠城(権現山城)から本陣山へ城を移したため、霊力の恩恵を受けることができずあえなく落城したと言われている。
現在では、本陣山城の山頂部には展望やぐらが整備されており、御嵩町の街並みと大自然が一望できる。

所在地
可児郡御嵩町御嵩
築城時期
不明
主な城主
小栗信濃守
アクセス
[公共交通機関]名鉄御嵩駅より南へ徒歩約25分
[自家用車など]東海環状自動車道「可児御嵩IC」より約10分 駐車場あり

可児市Kani City

鬼武蔵と呼ばれた森長可の居城美濃金山城跡

天文6年(1537)に斎藤大納言妙春が築城したと伝えられる。当時の呼び名は烏峰城。永禄8年(1565)織田信長の家臣森可成が入城し、慶長5年(1600)まで森氏の居城となるが、関ケ原の戦い前後に廃城となった。発掘調査により、主郭には御殿と天守に相当する建物があったことや主要な曲輪には礎石建物が建ち並んでいたことなどが判明した。
東美濃唯一の豊臣期の織豊系城郭で、当時の築城技術や破城の作法を知るうえで重要な城跡である。

所在地
可児市兼山
築城時期
1537年
主な城主
斎藤氏、森氏
アクセス
[公共交通機関]名鉄明智駅からYAOバスで「城戸坂バス停」下車、南へ徒歩約15分
[自家用車など]東海環状自動車道「可児御嵩IC」より約10分 駐車場あり

資料館情報

名称
戦国山城ミュージアム
1
入館料
210円(高校生以下無料)団体割引あり(20名以上)
電話番号
0574-50-8443
開館時間
9:00~16:30(入館は16:00まで)
定休日
月曜日(月曜日が祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始(12月28日~ 1月4日)

戦国城郭のモデルとして
見ごたえ抜群
久々利城跡

発達した虎口に大規模な切岸という戦国城郭のモデル。守護土岐氏の一族で室町時代の奉公衆であった久々利氏の本拠、権力の大きさが垣間見える。天正11 年(1583)に森長可に攻略され、森氏の支配下に置かれ改修されたと考えられる。
戦国期末の山城の姿を今も留めている。

所在地
可児市久々利
築城時期
14世紀後半
主な城主
久々利氏
アクセス
[公共交通機関]名鉄明智駅から南東へ約1時間
[自家用車など]東海環状自動車道「可児御嵩IC」より約10分
久々利地区センターに駐車場あり

多治見市Tajimi City

根本城跡

所在地
多治見市西山町
築城時期
16世紀
主な城主
若尾氏

池田城跡

所在地
多治見市池田町
築城時期
戦国期
主な城主
不明